ふいちゃんの中国日記

つれづれ編

田中神社

2014年6月1日


「お茶壺道中」についていろいろの話を聞くようになったのは旧甲州街道を歩くようになってからである。 

以下はインターネットや人から聞いた情報の概要:江戸時代、幕府が将軍御用の宇治茶を茶壺に入れて江戸まで運ぶ行事を茶壺道中と言った。京へ向かうときは東海道を通り、茶壺に茶葉をいれて江戸へ帰るときは中山道や甲州街道を通ったという。その理由は中山道や甲州街道のほうが気温が低く茶の保管条件が良かったこと、さらに東海道は大井川などの大河があり、川の氾濫で湿地があったりして利用しにくく湿度も高かったことだという。

甲州街道は下諏訪宿で中山道に合流しており、中山道は本州中部の内陸側を経由する路線で、草津宿で東海道に合流している。

山梨県北杜市にある「田中神社」は茶壺を運ぶ「宇治採茶使」が宿泊したところと説明されている。

茶壺が通行する際は大名も籠を降りなければならず、街道沿いの村々には街道の掃除が命じられ、街道沿いの田畑の耕作も禁じられた。

 童歌の「ずいずいずっころばしごまみそずい」は

   ずいずい ずっころばし
   ごまみそ ずい
   ちゃつぼに おわれて     (訳)お茶壺道中の行列がやってきたので
   トッピンシャン             沿道の住民らは戸口をピシャッと閉めて家に逃げ込み
   ぬけたら ドンドコショ        行列が過ぎたらホッと胸を撫で下ろして、やれやれ、ホッと一息
   たわらの ねずみが
   こめ食って チュウ
   チュウ チュウ チュウ
   おっとさんが よんでも
   おっかさんが よんでも
   いきっこなしよ
   いどのまわりで おちゃわんかいたの だれ

という感じで、このお茶壺道中の物々しさを風刺した歌なのだという。