ふいちゃんの中国日記

つれづれ編

功徳寺

2013年7月16日


功徳寺は泉渋院から2kmの近くにあり、歩いて30分足らずの距離で、同じ町道沿いにある。この寺は武田信玄と密接な関係があるという住職の説明であった。

武田信玄が長野善光寺の本尊を甲府へ持ち帰る途中、この功徳寺へ宿泊し、そのとき本尊をここへ安置したのだという。

また、武田信玄は1516年川中島の四度目の戦いの帰路、功徳寺からそう遠くないところにある中央分水嶺の大門峠で岌往(ぎゅうおう)上人に出会い、その高い見識に感銘。甲斐の国へ来て寺を開くよう要請した。その後、岌往上人は甲斐へ行き、20年の間に廃寺の修理を含め30の寺を開いたという。そしてそれらの多くは今なお多数の檀家をかかえ存在しているそうだ。

 武田信玄の後継者である四男勝頼は織田信長に滅ぼされ、関係ある大きな寺院は焼き払われたが、いまも多くの武田信玄にゆかりのある寺院が残っている背景には徳川家康の政策が大いに関わっているといわれる。