ふいちゃんの中国日記

つれづれ編

泉渋院でボケの兆候

2013年7月14日


ウォーキングの活動の一環として長野県茅野市の泉渋院を訪れ、住職の話を伺う機会があった。住職は今年89歳で、去年上部組織の知恩院から米寿の祝いがあったという話から始まった。見たところ足腰もしっかりしている様子で、立ったまま話をしてくださった。話の脈絡もしっかりしている。

この宗派で、米寿の祝いの対象者は日本全国で12人いて、4人だけが一人で移動できる健康体で、残りの8人は車椅子とか杖をついて歩けるとかで、京都の知恩院の式典へ参加する人は自分で移動できる人も含めて全て付き添いが必要条件だったとのこと。

健康であるためには、「まず、食べ物に気をつけなければならない」という当たり前と言えば当たり前の内容であるが、ご自身の体験談を話された。8年前に奥さんを亡くし、自分で食事を作っていたが、肌にしみが増え、それを心配したすでに結婚している娘さんが食事の世話をしてくれるようになってしみが消えていったという。

結論は、「自分の食べたいものだけを食べてはいけない。贅沢な食べ物は身体によくない。」ということであった。

米寿の祝いで京都へ行くに当たって、娘さん夫婦に付き添いを頼んだ。式典が終わったあと知恩院の宿坊に安く泊まるつもりだったが、せっかく京都まで来たのだからホテルへ一泊したいという娘さんの要望でホテル泊りとなった。 

次の朝、またせっかく京都へ来たのだから琵琶湖を見て帰りたいという娘さんのさらなる要望で琵琶湖遊覧となった。結局一人当たり3万円弱の出費となったなどとけっこう俗っぽい話であった。

たまたま、テレビでやっていたが、ボケの一つの特徴は脳が同時に二つのことをできなくなることだという。だから、一つ何かを始めると直前までしていたことをころっと忘れてしまうのだということであった。

住職の話に集中していたせいか、ボケで脳が同時に二つのことをできなくなったせいか、40分ほどで話が終わり、外に出て靴ひもをしっかりと結んでいざ出発しようとしたとき、リュックサックが置いたはずのところにないことに気がついたのであった。

頭の中では大きな柱のそばに置いたことははっきり記憶にあったのだが。誰かがまちがえて持っていったのであれば一つ残るはずだと周りの人々が探してくれたが、そのようなリュックは見当たらない。

どこかにないかなと探したら部屋の中の大きな柱のそばに一つリュックが見えた。つまりわたしのリュックである。ああそうだ、あそこに置いたのだと一瞬にしてそのときの光景がよみがえった。その柱は靴を脱いであがった部屋の中の大きな柱なのであった。靴を脱ぐ前の外の大きな柱ではなかったのである。

このような勘違いは初めてであった。同時にわたしはボケのかすかな兆候を感ぜずにはいられなかった。