ふいちゃんの中国日記

つれづれ編/フットパス編

甲州市 旧青梅街道沿い(4/4)大菩薩峠の無人交易


 
こういう無人交易の話を聞くとなぜか気持ちが躍る。国中からは米、塩、酒、日用品が、丹波山・小菅村からは木炭、繭(まゆ)、下駄の桐材などが運ばれたという。

国中と丹波・小菅との交易は大菩薩峠を越える往復八里(約32km)の山道なので労力も大変、日帰りも困難だったのであろう。双方が大菩薩峠まで荷物を運び相手側の荷物を受取って戻る無人交易を考えた人は切れ者である。

大菩薩峠に通じる山道があまりないことも一つの要因であろう。通じる道がたくさんあれば盗難の危険性が高まる。仮に盗んだとしても米や塩、酒、木炭、など重くて険しい山道を運ぶのは容易ではなかったであろう。さらに、限られた道を運ぶ姿は住んでいる農民達から簡単に発見されたのではないか。

決済はどうしたのかなあ。江戸時代の決済は盆と暮れの節季払いだったようだから、双方に柳屋さんのような問屋が窓口になってスムーズな運営ができたのではないかと察する。さらに問屋は運送業も兼ねていたのかも知れない。

現在の青梅街道は明治11(1877)年に藤村県令によってつくられた国道411号の柳沢峠越えルートに取って代わった。大菩薩峠の無人交易が明治初期まで続いたというのはこういう背景があったということであろう。

   参考資料:“甲州市塩山 上小田原編”33頁
           発行:つなぐNP 
           印刷:ほんほん堂