ふいちゃんの中国日記

つれづれ編

11月22日 清里 萌木の村

2014年12月9日

清里はかつての賑わいはない。しかし、ここは本来そういう賑わいとは無縁だったところ。清里開拓の話を聞いてそういう思いが強くなった。いまは喧噪はなく静かな時間が流れている。

案内役の方の説明によると、東京都の重要な水がめ一つである小河内ダムの完成で立ち退きを余儀なくされた丹波山村の人々が移住してきて開拓したのが清里で、当時JR清里周辺は未開の原野だったそうである。「萌木の村」の南側にこれら移住してきた人々の墓地がある。
開拓は大変過酷なものだったという。ここによく知られている「清里開拓の父」と呼ばれている「ポール・ラッシュ」が登場する。丹波山村から移住してきた一人に「舩木常治(ふなきつねはる」」さんがいて、ポール・ラッシュが設立したキープ協会の高冷地実験農場の農場長をしていたという。

その息子さんである長男「上次(じょうじ)」さんがポール・ラッシュの亡くなる十年前から「萌木の村」を作り始めて今日に至っているという。ポール・ラッシュが亡くなったのは昭和54年(1979年)だから、作り始めたのは今からほんの45年前のこと。上次(じょうじ)さんは幼少時からポール・ラッシュとともに過ごしていたという。
山梨県韮崎市と長野県上田市を結ぶ国道141号線沿いにあるブルーパブレストランロック、その左隣にあるホテル「ハット・ウォールデン」その他を次々に作っていったという。

「ロック」は昭和46年(1971年)開業で、ここで食べた野菜たっぷりのビーフカレーはとても美味しかった。現在、ロックでは地ビールも製造販売している。


参考資料:
 北杜市高根町編07 「清里開拓の父」ポール・ラッシュものがたり
 北杜市ほくほくガイド11 清里高原 美し森の自然とふれあう道
    いずれも「特定非営利活動法人つなぐ」発行