ふいちゃんの中国日記

つれづれ編/旧東海道53次編

東海道53次 島田宿→沼津宿(改訂版)

2014年6月26日

旧東海道の松並木が数百mに渡って残されており、地元の「松並木を守る会」の皆さんにより保存されている。この日はちょうど草苅がされていた。この松並木の真ん中の道が旧東海道で、現在は舗装されていて車の交通量はかなり多い。
色とりどりのアジサイが満開であった。この松並木の一角に一里塚(錦田一里塚)も残されていて、なじみのある土塁と中央部のケヤキの木がある。一里塚は元々街道の両側に設置されているものだがここは両方とも保存されている。土塁の大きさと中央部のケヤキは江戸幕府により標準化されていたのであろう、旧甲州街道の一里塚も同様な形態である。
いま使われている、手元の旧暦は近くの神社から毎年配られてくるが、「高島暦」となっている。以前は日本全国「三嶋暦」だったというガイドの説明であった。いつ頃変わったのか等の詳細はわからない。資料館が松並木からそう遠くないところにあったが、寄る計画はなくそのまま通り過ぎた。
三嶋大社は今回で三回目である。池の中に浮かぶ小島では亀が甲羅干ししていて大きな鯉も泳いでいてのんびりとしていた。
楽寿園は1890年(明治23年)に小松宮彰仁親王の別邸として造営されたそうだが、現在は三島市が運営する公園として一般公開されている(有料)。面積は約73000㎡と広大である。この公園は富士山から流れてきた溶岩の上に造られており歩いているとときおりむき出しになった溶岩の上を歩く。
三島市は冬でも霜が降りないくらい暖かいのであろうか、巨大なサボテンが外に植えられていて花が咲いていたものもあった。
今回は三島城本丸跡(公園)が終点で、歩く時間約5時間、距離は約9.3kmであった。